どっぷり長宗我部元親旅②

岡豊から浦戸へ。土佐の出来人・元親公の「志」と太平洋を望む旅


昨日は南国市の岡豊城跡を訪ね、高知県立歴史民俗資料館で元親公が描いた「四国制覇」の壮大な物語に触れました。(どっぷり長宗我部元親旅①)2日目の今日は、その歩みがたどり着いた終焉の地、そして元親公が愛した雄大な太平洋を望む高知市浦戸エリアへと車を走らせます!

高知中心部から車を南へ走らせること約20分。かつて元親公が初陣の軍議を開いたとされる若宮八幡宮の駐車場に車を停めます。

 

永禄3年(1560年)、長浜城に立てこもる本山氏を討つべく、元親公はここ若宮八幡宮に本陣を置きました。当時、22歳という遅い初陣だった彼は、その物静かな性格から「姫若子(ひめわこ)」と揶揄されていましたが、戦場で見事な戦いぶりを見せ、周囲の評価を一変させました。ここでの勝利が、後の四国一統へと繋がる第一歩となりました。

 

境内には、元親公の初陣にちなんだ「槍通す輪」が設置されています。「土佐の出来人」と呼ばれた彼の勝負強さにあやかろうと、人生の節目を迎えた人々が訪れています。

  • 長宗我部元親 初陣の像

若宮八幡宮から歩いてすぐ、かつての戦場を一望する場所に、若き日の元親公の初陣の像が立っています。

 

この像は、八幡宮での祈願を終え、まさに戦場へ一歩を踏み出そうとする瞬間を写したものです。右手に槍を携え、左手を大きく広げて大地を掴もうとするダイナミックな造形。そこには、おっとりとした性格だった「姫若子」が、一人の武将として歩みはじめた時の力強さが表現されています。

鋭い視線は、かつての主戦場であった長浜平野と、その先に広がる太平洋へと向けられています。これからはじまる激動の時代を見据えるような、静かな気迫を漂わせる像です。

初陣の像から海沿いを走り、桂浜を見下ろす丘の上へ。現在は高知県立坂本龍馬記念館が立つこの場所は、かつて土佐の海の入り口を睨んでいた鉄壁の要塞、浦戸城跡です。

豊臣秀吉による四国征伐を経て、土佐一国の領有を認められた元親公。彼は長年住み慣れた岡豊城を離れ、海運の要所である浦戸に本拠地を移しました。それは戦の時代から海を通じて新しい世界とつながる時代へと、彼の視線が大きく変化したことの象徴でした。

記念館でガイドブックをもらい、散策スタート。浦戸城跡には、天守や井戸、曲輪跡など土佐の城郭史上貴重な遺構が遺り、当時の面影を静かに伝えています。木々に囲まれた道を通って、一段高い場所にある天守跡へと歩を進めると、木立の中に小さな平地が現れます。木々の間からは太平洋を望むことができました。「鉄壁の要塞」と呼ばれた浦戸城の守りの固さを肌で感じることができます。

元親公の没後、この城は主君への忠誠を貫こうとした半農半兵の「一領具足(いちりょうぐそく)」たちが、新領主の入城に対して最後まで抵抗を続けた「浦戸一揆」の舞台ともなりました。

浦戸城跡碑
浦戸湾沿いにある一領具足の碑

浦戸城跡を後にして、車で約10分。住宅地のすぐ背後に迫る山裾に、長宗我部元親公が永遠の眠りについている場所があります。

車を降り、木々に囲まれた石段を一歩ずつ登っていくと、故郷の山に溶け込むようにその墓所はありました。

若宮八幡宮で初陣の誓いを立て、浦戸から太平洋を見据えた元親公。激動の人生を歩んだ英雄は今、この静かな場所から土佐の街を見守っています。

元親公の墓所からほど近い場所に、もうひとつ静かな塚があります。元親公の愛馬、内記黒(ないきぐろ)が眠る場所です。

内記黒は、元親公が四国平定を成し遂げる数々の戦場を共に駆け抜けた名馬でした。元親公がこの世を去った際、主を追うようにして息を引き取ったと伝えられています。

戦場を共にした一人の武将と一頭の軍馬の深い絆が、この静かな山裾に今も息づいています。

長浜の街にある「くろしお珈琲」でひと休み。

3種類のスペシャルティコーヒーから選べるのが魅力。店主の方に好みを伝えて、今回は「コスタリカ」をお願いしました。たっぷりとしたマグカップから広がる、自家焙煎ならではの豊かな香り。さまざまな豆を仕入れているそうで、訪れるたびに新しい出会いがありそうです。

一緒にいただいたレモンのクグロフは、キリッとした爽やかな風味。心地よい酸味が、ここまで歩いてきた体に元気をくれます。

窓の外の通りを眺めながら、しばしの脱力時間。 さて、ひと息ついたら、次はいよいよ元親公の長男・信親公の菩提寺である雪蹊寺へと向かいましょう!

「くろしお珈琲」からほど近い場所にある雪蹊寺は、長宗我部家ゆかりの菩提寺です。かつては「高福寺」と呼ばれていましたが、元親公が中興し、自身の法号「雪蹊怒涛」にちなんで現在の「雪蹊寺」へと改められました。

 

境内奥の墓所には、元親公の長男・信親公の墓が建立されています。信親公は天正14年(1586年)、九州の戸次川(へつぎがわ)の戦いで戦死。将来を嘱望された嫡男の死は、父である元親公の後半生の歩みにも大きな影響を与えたと伝えられています。

雪蹊寺のすぐ隣に鎮座する秦神社は、長宗我部一族を祀る神社です。その名は、長宗我部氏が中国大陸からの渡来人「秦氏(はたうじ)」の末裔を称していたことに由来します。

ここは、土佐の英雄・元親公を祭神として祀っており、境内には長宗我部家の家紋を随所に見ることができます。

戸次川の戦いで信親公と共に戦死した家臣たちも合祀されています。一族の栄枯盛衰を見守り続けてきたこの場所は、今も地元の人々によって大切に守られており、毎年5月には元親公の遺徳を偲ぶ「元親祭」が執り行われています。


 

岡豊の山並みから浦戸の海、そして長浜の街並みへ。一人の武将の足跡を辿ることで、英雄たちが駆け抜けた時代に思いを馳せ、ひとつの物語を深く堪能する旅になりました。