四万十市観光ガイドLOILOIしまんと
小京都まち歩きコース
- コース所要時間
- 90分
- コース距離
- 2.5km
- 実施時期
- 年中
- 予約
- 前日17時までに要予約
- 料金
- 1人あたり¥1,500(90分コースの場合)
- 一言
- 四万十川で有名な四万十市ですが、公家がつくったまち”土佐の小京都”であることはご存知でしょうか?
歴史あふれるまちのことを、もっと皆様に知っていただきたいと思い、四万十市では観光ガイド~LOILOI(ロイロイ)しまんと~をはじめました。
ガイドと一緒にまちをぶらぶら歩いて(=ロイロイ:幡多地域の方言)みましょう。
解説を聞きながら散策すると、普通に歩くだけでは気づかない、歴史の跡を見つけられるはずです。四万十市を大好きなガイドが、心を込めてご案内いたします。 - ガイド団体詳細ページ
- ガイド氏名
- 四万十市観光ガイドLOILOIしまんと
※コース内容、料金等は変更になっている可能性がありますので、あらかじめ観光ガイド団体に確認をしていただきますようお願いいたします。
Model course
モデルコース

一條神社
市街地の中央の盛り上がった小森山にある。この丘にはもともと愛宕神社があったが、一條教房が中村下向のとき他へ移し、ここに御所を構えた。天正年間に一條氏は中村を追われたが、慶長12年(1607)、遺臣により一條氏数代の霊をまつる祠が建てられた。その後、1862年町民の寄付によりそこに一條神社が立てられ、更に1944年(昭和19年)に今の神社が建てられた。

幸徳秋水の墓
現四万十市中村の酒造業豪商の家に生まれる。名は伝次郎。地元中村の儒学者、木戸明の遊焉塾に学び神童といわれた。明治36年日露間の国交が緊迫する中で平民社を創設し、平民新聞を発刊して帝国主義を批判、反戦を訴えた。秋水の主著『社会主義神髄』は有名。明治43年大逆事件の冤罪をこうむり逮捕され、翌年1月24日に享年41歳で刑死。

一條房基の供養墓
祖父、父が相次いで亡くなり、20歳で跡を継ぐ。妻は九州の大友宗麟の妹を迎え、この縁で大友氏を応援し伊予に攻め入り戦国大名化したが、28歳で自害してしまう。